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信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~
信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~_c0055515_0264787.jpg信州高山温泉郷からの帰り道小布施の古刹を訪問しました。

岩松院というこのお寺は、
小布施市街地の東側、雁田山という山の麓に立つ。


信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~_c0055515_02723.jpgなんといってもここのお寺には、
本堂天井に葛飾北斎が
晩年(死の前年)に描いた
『八方睨み鳳凰図』があるのだ。
その大きさはなんと21畳!

まさに天井いっぱいに描かれたその絵は、鮮やかな色をいまだに保たれた状態で保存されていて、現在はそれを座ってみることができる。


→これ、昔は寝転がって眺めることができたそうな。
 でも、最近の補修時から寝転がることによる振動から絵を守るため、
 座ってみることにしたそうだ。

信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~_c0055515_0271571.jpg
さらに、ここには本堂裏手に福島正則公の霊廟もある。

福島正則といえば、豊臣秀吉の子飼いの武将。
「賤ヶ岳七本槍」(=加藤清正や脇坂安治、
片桐且元ら)の筆頭でもある。

正則は徳川幕府による武家諸法度を盾にした
むちゃくちゃな取り潰し施策の
いわば犠牲になった豊臣恩顧の大名である。
(武家諸法度による改易適用第一号・・・)
 


信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~_c0055515_0273013.jpg正則はこれにより広島49万石の大大名から、
信濃川中島に4万5千石で移封となり、
この地、高井野(上高井郡高山村)に蟄居し
1624年に64歳で失意のうちになくなった。

そんな中であっても正則は、領内の改革などに取り組み、
松川の氾濫を防ぐため「太夫の千両堤」などを築くなど、
領内統治に努めた。


なお、正則死してもなお不遇であった。
家臣が、幕府の検死を待たずに荼毘に付したため
川中島の領地もほとんどが没収・・・・。
ん~、徳川幕府・・・徹底的である。

信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~_c0055515_0274414.jpg信州高山温泉郷からの寄り道3 岩松院 北斎ゆかりの古刹  ~長野小布施町~_c0055515_028569.jpg
ちなみにこのお寺、本堂横には、俳人小林一茶が
「やせ蛙まけるな一茶これにあり」を詠んだ池もあります。





 
曹洞宗 梅洞山岩松院

岩松院は文明4年(1472年)開基の曹洞宗のお寺。

本堂の拝観料は200円。

拝観時間は季節により若干異なるので確認したほうがよい。

とりあえず、9時半~16時の間に行っておけば間違いない。

住所:長野県上高井郡小布施町雁田
電話:026(247)5504
by eratomoeratomo | 2005-11-14 23:58 | ★オデカケのページ